記憶と人生:人は3歳までの記憶でその後の人生を生きている、という話

記憶と人生:人は3歳までの記憶でその後の人生を生きている、という話

「人間は生まれてから3歳くらいまでの記憶で、その後の人生を生きている」友人からこの話を聞いて、いろいろと湧き上がってくるものがあった。ぼくは自分の思ってることを飲み込んでしまう傾向にあった。たぶん、子どものころに、自分の思いを口にしたら、何か嫌なことがあったのだろう。

睡眠について:久しぶりに横になったまま眠ってしまった。理想の睡眠とその方法を考えた

睡眠について:久しぶりに横になったまま眠ってしまった。理想の睡眠とその方法を考えた

久しぶりに、ベッドに横になりそのまま朝まで寝てしまった。シャワーも浴びず、歯も磨かず、服もそのまま、部屋の電気もつけっぱなし。ああ、これやばいなあ。 このまま寝ちゃうなあ。と、薄々思いながら、案の定、深い眠りに落ちてしまった。本当はどうなったらいいか?

さらにお金を考えた。お金は単に〇〇〇だった:コーチングセッション記録 6-2

さらにお金を考えた。お金は単に〇〇〇だった:コーチングセッション記録 6-2

お金について考えるコーチングセッション。その後編。現実的に「お金って?」って考える段階になると、急速に視点がシュワシュワしぼんじゃう感じ。あ、そっか!お金がおれ全体の循環の中に入ってないんだ。自分が作ってる、思ってる循環とは別のところに、お金専用レーンがあって、別ラインで動いてる感じ。では、本当はどんなイメージになったらいいだろうか?

お金について考える。お金の循環とイメージ:コーチングセッション記録 6-1

お金について考える。お金の循環とイメージ:コーチングセッション記録 6-1

自分自身の活動としてコーチングセッションを始めたのですが、自分がクライアントとなるコーチングも2週間に1度受けています。この日テーマとして選んだのは「お金の流れ・イメージを良いものにしたい」というもの。ぼくにとってお金というのは、気軽に触れてはいけないような特別さや神聖さを感じるモノ。どう扱っていいのかわからないような得体の知れないモノ。という感じがあります。

FAKE論(後編):どの単位でものごとを捉えるか? 森達也監督のドキュメンタリー映画を観ての感想と妄想

FAKE論(後編):どの単位でものごとを捉えるか? 森達也監督のドキュメンタリー映画を観ての感想と妄想

結論を言うと、ものごとなんてどの視点から見るか、どんなスケールで切り取るかで、まったく違ったものになりうるということ。佐村河内氏が役割として行なっていたことは、果たして作曲と呼べるのか?という世間の議論が、FAKEの作中に何度も登場していた。どのスケールで捉えるかで、ものごとは分離もするし、統合もされる。ものごとの意味も価値も、いかようにも変わります。

FAKE論:何が正しくて何が間違いなのか? 森達也監督のドキュメンタリー映画を観ての感想と妄想(前編)

FAKE論:何が正しくて何が間違いなのか? 森達也監督のドキュメンタリー映画を観ての感想と妄想(前編)

映画FAKEを観た。森達也監督のドキュメンタリー。どこまでが本当でどこまでが嘘なのか?社会やメディアや時代に対しての危機感を、強烈に突きつける一方で、ニュートラルな視点から、絶妙に投下される問題提起によって、受け手の思考と感情をいい感じでザワつかせてくれる。佐村河内守氏の騒動後を追った映像作品。

解釈論「すべてのものごとは解釈によって作られている」注:プロレス話アリ(笑)

解釈論「すべてのものごとは解釈によって作られている」注:プロレス話アリ(笑)

すべてはその人の解釈によって作り出されているということ。 人生も、絶対的にいい人生。これとこれとこれに該当すればそれは悪い人生。そんなものは、ない。目に映るもの、関わる全てのものごとは、自分の解釈によって定義付けられ、意味付けされているにすぎない。そのものごとが、良いか悪いか、ポジティブかネガティブかは、自分がそのように解釈し、そのように決めているだけ。

直感論:「一番最初にいいなって思った服を、結局買う」の法則について考えてみた

直感論:「一番最初にいいなって思った服を、結局買う」の法則について考えてみた

この法則。つまりは、直感です。突然ピンと来る。一目見ていいなって思う。そういった直感って、あまり根拠がないようでいて、科学的でないようでいて、けっこうロジカルなプロセスを経てアウトプットされた答えだなあ、って思ったんです。そして、この直感の仕組みが、自分なりにこの法則で少し理解できたんです。