解釈論「すべてのものごとは解釈によって作られている」注:プロレス話アリ(笑)

勝ち名乗りを受けるプロレスラー

すべては解釈

ものごとに正解はあるのか?っつう話しです。

正解なんて、ホントのところないよね。
完全絶対な、これしかない!というような正解はない。

ここ最近、
これまでの人生を振り返る機会、
そして、
これから先のビジョンを思い描く時間を多く持つようになっています。

その中で、
頻繁にぼくの頭の中に現れるキーワード。
ぼくの人生観や価値観として重要な意味を持つ言葉。
そのひとつが、

「解釈」

今日は、その解釈ということについて考えてみたいと思います。

人生は解釈である

結論から言うと、
すべてはその人の解釈によって作り出されている
ということ。

人生も、
絶対的にいい人生。
これとこれとこれに該当すればそれは悪い人生。
そんなものは、ない。

目に映るもの、関わる全てのものごとは、
自分の解釈によって定義付けられ、意味付けされているにすぎない。

たとえば、
ぼくの財布の中に1,000円札が一枚入っているとする。
(ホントはもっと入ってるよ笑)

この状況は、
「くっそー、1,000円しかないぜ。。なんにも出来ないじゃないか。。」
って思いがちかもしれない。
だけど、
「わあ、1,000円もあるのか。贅沢は出来ないけど、あれも買えるしこれも出来るな。うれしいな」
って思うことも可能。

つまりは自分がその1,000円の状況や価値をどう解釈するか、
なわけです。

コップの中に水が半分入っている、という話しを聞いたことがあるかもしれません。
その状況を「半分も入ってる!」と解釈するのか「半分しか入ってない。。」と捉えるのか。
というあれです。

そのものごとが、良いか悪いか、ポジティブかネガティブかは、
自分がそのように解釈し、そのように決めているだけ。

プロレスは解釈である

またまたプロレスの話しで恐縮ですが、
(というか毎回プロレスの話しになるような気がしてきた笑)
ぼくがプロレスに惹かれ、
プロレスを通してものごとを理解している理由もこれです。

解釈で遊べるんです。

そこが、プロレスの面白くて奥深い部分。
そして、人生はプロレスだよなって思う所以。

プロレスは「闘う」ということを題材に扱っています。
つまりテーマ設定。
闘うという設定があることで、
そこに喜怒哀楽や関係性やストーリーが生まれる。

勝敗というのは、
そのテーマ設定上の大きな要素のひとつではあるんだけど、
勝ち負けそのものには、あまり意味がない。

むしろ、
勝敗という要素は軸として機能します。
しっかりした中心軸があることで、
解釈の幅や自由度、立体度や複雑度を、
ブレることなく、安定感を持って拡げていける感じ。

しっかりとした固定された安心感があることで、
思い切った冒険やチャレンジができる。

試合に勝っても負けても、
そのシチュエーションにおいて最適な解釈をし、
どんな発言や次のアクションを取れるか。
そこにプロレスラーの力量が現れます。

同じように観客側にも、
どの視点から、どんな切り口から、
試合の勝敗をどう解釈するのか、
ということが問われる。

観せる側と観る側の共犯関係があってこそ、
プロレスのリアリティーと胡散臭さは、
いい感じで醸成されていくんです。

誰かの解釈を生きるな

人生に話しを戻します。

ぼくのこれまでを振り返ると、

・男なんだからこうじゃなきゃいけない
・社会人であればこれはしておくべき
・いい年をしてそんなことするんじゃない

というような、
誰かが決めた「こうあるべき」という定義やルール、
つまり解釈に、
長い間、がんじがらめに縛られていたなあって思います。
もちろん今もあるけど。

30代の、
生きてる実感を全く感じられなかった長く苦しい時代。
そこから出よう!もう自分の思うように生きよう!
って思って仕事を辞めた時も、
解放感と同じくらい恐怖感が襲ってきた。

40間近なのに仕事をしていない。
やりたいこともよくわからない。
そんな状況が、
恥ずかしくて、かっこわるくて仕方がなかった。
無能感・無価値感がハンパなかった。

ヤバい!社会のレールからはみ出しちゃった。。
おれは価値のない人間なんだな。。
本気でそう思っていたし、
ものすごい不安と焦りを感じていた。

だから人と会うのがすごく怖かったし、
会う人会う人にウソをついて生きていた。

自分の解釈を信じろ!

そんな不安感にさいなまれながらも、
何とかしたい一心で、
思いついたことを一つ一つ、
これがやりたいのかな?っていうことをやり続けていたら、
ちょっとずつ謎が解けてきました。

ああ、おれは誰かがした解釈を、自分のものだと勘違いして生きてきてたんだな

と。

勝ち組とは何なのか?何を持ってして負け組なのか?
仕事とプライベートの境界ってどこにあるのか?
男と女ですら、解釈の抽象度をひとつ上げればどちらも人間。

男はこうあるべき。
仕事、キャリア、交友関係、年収、などなど。。

世の中が定義した多数決的な幸せ。
誰かが決めた理想的な人生。

Realy?

おれはどうしたいのか?
本当はどうなりたいのか?

自分自身の中心軸がないと、
人生は迷走してしまうんだな。

すべては解釈次第

ものごとというのは本来は全てニュートラルなものであるはず。
空から降る雨は、空から降る雨でしかない。
それを、
「あーあ。。」と捉えるのも、
「やったー!!」って大喜びして受け取るのも、
人それぞれの解釈。

そのもの自体にいいか悪いかなんてない。
ひとりひとりの解釈が生み出しているに過ぎない。

他人や、まわりの状況や、時代の流れ、
そういったものは自分ではコントロールできません。
しようとすると苦しいよ。

そうか。
ということは、
逆に自分のことなら自分で選択ができるじゃないか!

自分の解釈や、次の行動は、どうとでもできる。
自分自身で選べるんだ。
そして、その結果どんなことが起ころうが、
すべては解釈次第。

これが、これまでの経験から導きだした解釈です。

以上、
解釈論「すべてのものごとは解釈によって作られている」注:プロレス話アリ笑
というお話でした。

ご清聴ありがとうございました。
では~。

ナカガワケン

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